「こんどはこのエラーか。もう、山田さんに聞くしかないな」
深夜の製造ライン。若手作業員が制御盤の前でため息をつく。マニュアルは分厚く、似たようなエラーコードが並ぶ。検索しても該当ページが見つからない。結局、ベテランの携帯を鳴らすことになる。
なぜ今、設備保全×生成AIなのか
設備保全という領域は、実は生成AIと極めて相性の良い分野です。その理由は、現場にすでに「AI向きの情報」が揃っているからです。
設備マニュアル、トラブル対応履歴、エラーコード一覧、日報・点検記録など。これらはすべて、判断のための「根拠」となる知識です。問題は、これらが紙やPDFとして散在し、必要なときに必要な情報にたどり着けないことにあります。
従来型のIT化は、この課題を「検索」で解決しようとしてきました。ファイルサーバーに整理し、キーワードで検索できるようにする。しかし、この方法には根本的な限界があります。キーワードが分からなければ見つからない。そもそも「探しに行く」という行為自体が、緊急時の現場では負担なのです。
ここで注目されているのが「RAG(Retrieval-Augmented Generation)」という考え方です。これは、AIが勝手に答えを作るのではなく、社内資料を検索し、その内容をもとに回答を生成する仕組みです。「検索」から「対話」へ。この方法は、設備保全に必要な「正確さ」「根拠」「再現性」と相性が良く、理論的には理想的なアプローチと言えます。
中小製造業が直面する「実装の壁」
しかし、ここに大きな壁があります。RAGを自社で構築するには、文書の整理、データベース構築、AI連携システムの開発が必要です。IT人材、予算、時間など中小製造業にとって、これを確保することは容易ではありません。
結果として、多くの企業が「検討止まり」や「投資ができない」という状況に陥ります。方向性は正しい。効果も期待できる。でも、実装が現実的でない。このジレンマが、生成AI活用を「大企業の話」にしてしまっているのです。
だからこそ必要なのは、理想論ではなく「現実的な第一歩」です。完璧なシステムではなく、今ある資料を使って、小さく始められる選択肢が必要です。今回は、このRAGに相当する部分をNotebookLMで補おうという話です。
NotebookLMという選択肢
NotebookLMは、Googleが提供する生成AIツールです。その位置づけを端的に言えば、「難しい構築なしで使える軽量RAG」です。
使い方はシンプルです。社内資料(PDF、テキストファイル、ウェブページなど)を読み込ませると、その内容を前提に対話形式で質問できるようになります。サーバー構築は不要、プログラミングも不要、今ある資料をそのまま使えます。
なぜこれが中小製造業に向いているのか。理由は4つあります。
Googleアカウントがあれば今日から使えます。初期投資はゼロです。
完璧に構造化されたデータベースは不要です。手元にある古いマニュアルや、Excelにまとめたトラブル履歴をそのまま使えます。
まずは1設備、1ライン分の資料だけで試運用し、効果を確認してから横展開できます。
専門用語や正確なキーワードを知らなくても、「このエラーは何が原因?」「過去に同じ事例はあった?」と自然な言葉で問いかけられます。 |
具体的な利用シーンを想像してみましょう。
深夜、制御盤に「E-203」というエラーコードが表示されました。作業員はスマホでNotebookLMを開き、「E-203の対応方法を教えて」と入力します。すると、NotebookLMは読み込まれた設備マニュアルと過去3件の類似トラブル履歴を参照し、次のような回答を生成します。
「E-203は冷却水圧力異常を示すエラーです。過去の事例では、配管詰まりが原因であることが多く、以下の手順で対応されています。1)冷却水圧力センサーの数値確認、2)配管フィルター点検、3)必要に応じて洗浄。詳細はマニュアルP.47、過去事例は2024年3月12日の日報を参照してください」
この回答には根拠が示されています。作業員は、AIの判断を鵜呑みにするのではなく、示された資料を確認しながら対応できます。ベテランに電話する前に、自分で第一次判断ができる。この変化が、「探す時間」を「判断する時間」に変えるのです。
導入効果と注意点
この仕組みがもたらす効果は、現場側と管理側の双方に及びます。
現場側では、対応スピードの向上、若手の心理的負担軽減、属人化の緩和が期待できます。「分からないことは聞けばいい」という環境が、現場の自律性を育てます。
管理側では、保全品質の安定、技能伝承の可視化、教育コストの削減、そして最も重要な「ノウハウ消失リスクの低減」が実現します。ベテランの知識が資料として蓄積され、それをAIが引き出せる状態になることで、知識の継承が加速します。
ただし、ここで重要な注意点があります。
「AIに最終判断をさせない」
NotebookLMは判断「支援」のツールです。最終的な判断は人が行い、安全と品質の責任は現場に残します。AIが「おそらく〇〇です」と答えても、それを検証し、現場の状況と照らし合わせて判断するのは人間です。
「完璧を目指さない」
最初から全設備、全マニュアルを網羅しようとすると、結局何もできなくなります。まずはひとつの設備から。使いながら資料を追加し、質問のログを見て足りない情報を補強する。この「育てる」感覚が、持続可能な運用につながります。
生成AIは「現場の相棒」になる
生成AIは、人を置き換える存在ではありません。現場で考え、判断し、行動する人を支える「相棒」です。
「設備のことをAIに聞く」感覚は、決して夢物語ではありません。それは「使い方」次第で、今日から始められる現実なのです。
執筆者プロフィール
山口 透(やまぐち とおる)
ITコーディネータ京都 理事
株式会社 エムティブレイン 代表取締役
デジタル変革(DX)と生成AIを活用したコンサルティングを手掛ける。中小企業から大企業まで、経営とITの架け橋として幅広くサポート。生成AIやIoT、デジタル化を活用したDX推進に強みを持ち、業務効率化やマーケティング戦略の革新を実現。+DX認定試験の問題作成プロジェクトリーダーとして、DX人材育成にも尽力。AIセミナーの企画・運営を通じ、企業のAIリテラシー向上に貢献。関西学院大学と大阪経済大学の中小企業診断士養成課程でデジタル化の授業を行っている。中小企業診断士、ITコーディネータ、システムアナリスト。著書に「ITコンサルティングの基本」(共著)他。



