情報は、日々刻々と変化し、それを受け止める人間のほうは変化しない普通、このように思われがちだ。しかし、実は逆である。「万物は流転する」という言葉があるように、人間は寝ている間も含めて成長なり老化なり、変化し続けている。つまり、寝る前の「私」と起きた後の「私」は別人なのだ。だが、朝起きるたびに生まれ変わった、という実感はない。
これは脳の働きによるもので、脳の中で毎日「自己同一性」を追求するという作業が行われ、「私は私」と思い込まされているからだ。毎朝別人になっていては、社会生活は営めない。
一方、「万物は流転する」という言葉自体は一言一句変わらず現代にまで残っている。つまり、言葉という”情報”は永遠に変わらないのだ。
現代は情報化社会だといわれるが、これは言い換えれば「意識中心社会」のことだ。意識中心とは、実際には日々変化している自分自身が、情報と化している状態を指す。意識は自己同一性を追求し、「昨日の私と今日の私は同じ」と言い続ける。このように、自分を情報だと規定することから”近代的個人”が生まれた。つまり、本当は絶えず変化しているのに、脳が「私は私」と同一性を主張することで、自分自身が不変の情報と化してしまう。その結果、人は”個性”を主張するようになったのだ。自分には変わらない特性がある、と。
しかし、昔の人はそういうバカな思い込みをしなかった。なぜなら、個性そのものが変化してしまうことを知っていたからだ。例えば、『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という冒頭部分。物理学的には、鐘の音はいつも同じように響く。しかし、その時々で違って聞こえるのは、それを聞く人間が常に変化しているからだ。それが、いつの間にか、変わるものと変わらないものとが逆転し、多くの人はそれに気づかないでいる。こうした中で、知るということの意味や捉え方も違ってきている。
昔の人は、知る、学ぶということは、自分が変わり、世界が変わることだと思っていた。変化するものが逆転した結果、「約束」に対する感覚も変わってきた。
人間は変わるが言葉は変わらない社会では、「約束」は絶対の存在であり、最も大事なルールだった。だが最近では、約束というものが軽くなってしまった。だから、政治家は公約を破っても何とも思っていない。国民も、公約はすぐに変わるものだ、と承知している。
これは、情報が変化する、という勘違いから生まれた最たる例だ。
出典: バカの壁 ( 養老孟司 著 )。
■執筆者プロフィール
中川 秀夫(なかがわ ひでお)
税理士、ITコーディネーター、
1級ファイナンシャルプランニング技能士、不動産コンサルティング技能者
IT投資に関する支援を新機軸に経営計画、建設投資、不動産に関する業務サポートを展開中。
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