内発的動機づけ/梅津 政記

 ところで、本当に毎日仕事を楽しんでいるビジネスマンはどれほどいるでしょうか。多くのビジネスマンは、売上のノルマ達成など業績向上のためのプレッシャーで、仕事を楽しむ余裕などないのではないでしょうか。
 趣味で行っているときは楽しくて仕方がないのに、それを仕事にすると楽しくなくなるという事がよくあります。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。また、われわれの幼児期を思い出してみた場合も、いろいろな事に興味がいっぱいで活き活きとしていたのに、小学校へ入学してテスト攻めに会うと、途端に活力がなくなってしまう子供が多くいたように思います。今、心理学の世界では、「内発的動機づけ」という考え方が非常に注目されています。内発的動機づけとは、活動すること自体がその活動の目的として動機づけられていることをいいます。例えば、ものづくりがおもしろくて夢中になっているように、自分の行っている活動それ自体を楽しんでいる状態です。

 人間は本来、自律性あるいは自分で決定したいという生得的な欲求があります。例えば、会社の中である判断をしなければならない時に、社員に選択の機会を提供することは、彼に自律の機会を与えることになります。人は自ら選択することによって、自分自身の行為の根拠を十分に意味づけることができ、納得して活動に取り組むことができます。しかも本人に選択の機会を提供することによって、問題をうまく解決することができるようになります。内発的動機づけは、自律性や自己決定性によって人間は動機づけられることを明らかにしました。
 人間は外部から何らかの圧力がかかると、その行為自体の興味を失ってしまいます。この外部から圧力がかかる状態を統制といいます。外部から命令、処罰、ノルマの設定などの統制がかかり、「~しなければならない」という心理状態になると、活動自体に対しかつて抱いていた興奮や熱意を失ってしまい、その活動の実現に向けて無理やり自分自身を叱咤激励してしまうのです。つまり、人は統制されると疎外感を持つようになり、自分の内部との接触を絶ってしまうのです。趣味で行なっていた時は楽しくて仕方がなかったのに、それを仕事にすると苦痛に変わってしまったり、幼児期は活き活きとして毎日を楽しんでいたのに、学校へ通い出すと途端に活力を失ってしまう子供などは、「~しなければならない」という外部からの統制を感じているのです。
 さらに、人間はいったん統制されると思考力や創造性が妨げられ、統制されないと何もできなくなってしまいます。社長がスーパーマンですべてができる会社は、イェスマンの社員が多く育つため、言われたことしかできなくなってしまいます。

 ところで、皆さんは意外に思われるかもしれませんが、お金は統制と同じ機能を果たすと言われています。
 例えば、他人のために働くことが好きで、ボランティア活動で一人住まいの老人の世話を一生懸命していた人がいたとします。彼はその仕事がおもしろくて仕方がありません。ところがある時、彼は老人からお礼としてお金を1万円もらいました。老人は日頃お世話になっていることに対して、何とか感謝の気持ちを表したかったのです。彼はお金を受け取ることを懸命に断りましたが、最後は老人の気持ちを汲み取って1万円を受け取りました。そして、その次に老人を訪問した時も、老人は1万円を差し出しました。最初は彼も断りましたが、一度受け取ってしまうと無理に断り切れなくなり、今回も1万円を受け取ってしまいました。
そしてその後もまたお金を受け取りました。ところがその後老人を訪問した時、老人はお金を出しませんでした。彼はその時、「なんだ。今回はお金をくれなかった。何だか無償で働くことがバカバカしくなってきた。」と思ってしまいました。いつの間にか彼は、お金をもらうことを期待して仕事をするようになっていたのです。
 この事例のように、最初は仕事そのものが楽しかったとしても、金銭を得ることが目的になってしまうと、仕事そのものには興味を失ってしまう場合があります。この意味で、金銭は統制と同じ機能を果たすことがあるのです。

 会社経営の場合でも、馬の目の前に人参をぶらさげるように、金銭でもって社員を働かせようとしても、彼らには真のモチベーションが生まれません。金銭的な報酬が統制として働き、仕事をするように心理的圧力をかける道具となるからです。
 では、どのようにすれば、金銭的報酬と社員の内発的動機づけを両立させることができるのでしょうか。それは、金銭的報酬により社員を統制しようとする意図をもたず、報酬がいわば成し遂げられた仕事に対する承認として提供されるものだという考えを社員に示し、その姿勢を貫くことです。そうすれば、内発的動機づけを損ねることなしに報酬を支払うことが可能となります。
 経営者や上司は、社員が、仕事自体がおもしろいと感じられるように、彼らを内発的に動機づけていかなければなりません。そのための基本として、自分の仕事に対する意思決定に関し、参加意識と自己決定意識を持たせることが必要です。その意識を持つことによって、自分が参加し意思決定に加わったのであるから、決めたことは実行しよう、そして創意工夫によりそれをより発展させようと思うようになるのです。
 しかし、そんなことをすれば社員を甘やかすことになり、間違った方向に行ってしまうのではないかと、不安を感じられる方もおられるでしょう。完全に社員任せにすると、そのようなことにもなりかねません。
やはり会社の方針が明確であり、社員の意思決定がその方針と両立するものでなければなりません。社員が間違った意思決定をすれば、経営者や上司は間違いを指摘し、彼らを正しい方向に導かなければなりません。
 このように、社員の考えを修正しようとする時に、内発的動機づけと規範の受け入れという問題が発生します。内発的動機づけの理論からすれば、社員の思うようにやらせるのがベストで、会社の方針を実行させるのは統制にならないかという問題です。

 人間は自分の事は自分で決めたいという自己決定の意識を持つとともに、他人と仲良くやりたい、集団の中で生活がしたいという関係性への欲求をもっています。人間は集団の中で順応するために、身近な集団や社会の価値とルールを受け入れようとする傾向を生まれながらにして持っています。このような順応過程を経て価値や行動規則を受け入れていくことを内在化といいます。
 社員が会社の方針を受け入れることは内在化です。ただしこの内在化には2つの形態があります。それは「取り入れ」と「統合」です。取り入れとはルールを噛み砕かずに丸ごと飲み込むことであり、統合とはルールをよく噛んで消化することです。取り入れが行われるとルールが不完全なまま消化されるため、「~しなければならない」という形で内在化が行われ、社員の創意工夫や創造性が未熟なままになってしまいます。
一方、統合が行われると会社のルールを自分自身のものとして受け入れるようになります。そして統合を通して、彼らにとってあまり面白くないかもしれないが、会社にとっては重要なルールを進んで受け入れ、それに対する責任を果たすようになるのです。
 ルールを統合として社員に内在化させるためには、経営者や上司の満足のための手段として彼らを扱うのではなく、彼らを一人の人間としてその価値を認めながら、彼らに関わっていかなければなりません。それは、彼らの立場に立ち、彼らの視点でものごとを見るということです。
そして、ルールを内在化させるために、彼らを理解し承認し、そのルールを丁寧に粘り強く説明することです。短気を起こしルールを頭ごなしに強制することは、長期的な視点から見て決して好ましいことではありません。


■執筆者プロフィール

梅津 政記(うめづ まさき)

株式会社サティス 代表取締役 (中小企業診断士・ITコーディネータ)
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