この数ヶ月で世界の経済環境は一変した。いまさら繰り返さないが、GMまでが破綻の危機に直面しているという。株が大幅に下落し、円が急騰して、日本経済に与える打撃は計り知れない。しかし、これを事実として、冷静に認識しないといけない。決して他人事ではない。対岸の火事と思っていたが、いやいや、そんな甘いものではない。
業種業態にもよるので、一概には言えないが、それでも最近の現象を見ていると、その現実を実感する。
(1)弊社オフィスのすぐ傍に完成した1階テナントそのうえマンションのビルが、多く部屋が売れ残っている。テナントもまだ入らない。2年前から建築していたが、完成の時にこういう経済状態になっていると、誰が思ったか。
(2)某製造業では、企業の設備投資が先送りになり、予定した受注の半分が失注した。決してこれはその企業の責任とは言いにくい。他人のせいにはしたくはないが、愚痴のひとつも言わないと我慢できない。
(3)保証協会付きの折り返し融資がストップになった。運転資金の借り換えを断られた企業が目立つようになった。メガバンクの借り換え条件が極端に厳しくなった。担保割れの融資には、なかなか決済がおりない。
(4)筆者が所属する中小企業再生支援協議会に相談に来られる企業数が、20%増えている。資金繰りの相談がほとんどだ。売上の低下が資金繰りに直結している。とりあえずのつなぎ資金の融資で、本当に再生できるだろうか。
金融機関も、貸し剥がし、貸し渋りなど言っていられない状況だろう。自分のことで、アップアップで、他の企業のことを構っていられないのだろう。株や土地などの評価がどんどん下がると、いくら利子で稼いでいるとはいえ、大変だ。
不良債権処理に追われ、従来顧客からの審査に割ける時間が、縮小している。本来は、それはいけないが。従来、折り返しの融資はほとんど問題なくOKが出ていたから、軽く見ていたら、半分も融資してもらえなかった、という事例もある。
急遽手持ち資産の株券を売却しようとしたが、この状況では予定の 60%くらいしか、資金調達ができなかった。まさに、踏んだり蹴ったりになった。完全な、負のスパイラルに陥った。
信用収縮現象だろうが、そんな評論家みたいなことを言っていられないような深刻な事態だ。自社は関係ないと豪語できる会社は、ご同慶の至りだが、どんな業種にしろ早晩何かの影響は出てくる。今回の恐慌は、1920年後半の世界恐慌に匹敵する事態だ。実体経済を大きく上回る金融バブルが一気にはじけた。どこに、どんな金融商品が、どんなリスクを背負ってあるのかすら分からない。疑心暗鬼になるのも、分からないでもない。将来の可能性を評価する株が、もろくも下落しているのが、その心理と実態を表している。
自社がまともに経営し、ひたすらこつこつやってきて、ほとんど問題ないのに、借り換えを断られる企業も、実にやるせない。しかし、金融機関も、将来の事業性や利益の評価も、自信がもてない。本当に、売上が順調で、利益もきちんと出るのだろうか。誰も分からないし、誰も保証の限りではない。この、世界恐慌は根が深い。5年は修復にかかる。その間自社の経営は、果たして持つだろうかと、心配される方も少なくない。しかし、経営は、環境適応業なのだ。いくら文句を言っても、いくら人のせいにしても、結果は変わらない。自分は納得できても、経営の結果は変わらない。そんなことで、従業員の雇用が守れ、地域経済への貢献ができるはずもない。発想を切替えないといけない。
特効薬は、残念ながらないだろう。そんなに、この状況でめきめき経営改善ができるとは、とても思えない。円高が進行し、原材料の値上がりもまだ続き、輸出企業が打撃を受ける。非常に厳しい環境が、しばらくは続く。しかし、それは、自社だけのことではない。世間の一般の企業は、すべて条件は同じだ。なにも、あなたの企業だけが、わりを食っているのではない。ならば、どうするか。春待ち型の経営は難しい。誰かが救ってくれる、国がなんとかしてくれることは、多少はあるが、あまりあてにならない。ここは、腹をくくって、ここ一番本格的に体質改善に取り組む、いい機会だ。そういう風に、発想を切り替える。
誰かが悪い、悪いと、犯人探しをしても、何も変わらない。人のせいにしては、何も変わらない。京都の 100年以上継続している企業は、もっと厳しい環境変化を乗り越えてきた。関東大震災、戦争から終戦、オイルショック、バブルの崩壊。
それは、もっと大変だったかも知れない。そこを乗り越えたのは、ひたすら当たり前のことを、当たり前に、正しいことを正しくやってきたことに、他ならない。
経営に近道はない。真面目に、こつこつが、正道なのだ。一攫千金のお金は、所詮、身に付かない。
■執筆者プロフィール
株式会社成岡マネジメントオフィス 代表取締役 成岡 秀夫
1952年生まれ京都市出身 大手化学繊維メーカーの技術者から転身し、義兄の経営する京都の出版社、印刷会社で取締役。1995年に出版社の破綻を経験し、以降中小企業診断士、高度情報処理技術者の資格を取得。2003年独立し株式会社成岡マネジメントオフィス設立。現在、京都府中小企業再生支援協議会サブマネジャー他公職多数。