私たちは生活する上で、日々いろんな買い物をしています。そしてものを使用したり、サービスを享受したりして用益を得ています。これが消費と呼ばれています。
『下流社会』で話題となった三浦展さんの『第四の消費』を読んで大きなインパクトを得たので、自分なりに少し整理し振り返ってみたいと思います。ほぼ同時代を生き、マーケティングに関心を持ってきた私にとっても経験として重なる部分が多く、うんうんとうなずかされました。
■近代消費社会の4つのカテゴリー
日本における近代的な意味での消費社会、近代以降の技術革新によって生産力を向上させた工業が生み出す商品を消費する社会を対象に、4つのカテゴリーに整理してその変化が捉えられています。
1.東京、大阪などの大都市に限定されて展開された、第一の消費社会(1912~1941年)
2.核家族を中心に展開した、第二の消費社会(1945~1974年)
3.消費の単位が家族から個人へと変化した、第三の消費社会(1975~2004年)
4.そして、シェア志向、地方志向、自己充足としての消費へと向かう、第四の消費社会(2005~2034年)
一応年代は区切られていますが、それぞれが明確にここからここまでというわけではなく当然それぞれの時代がオーバーラップしています。
■第一の消費社会から第二の消費社会
第一の消費社会は大正元年から第二次世界大戦まで。大都市の人口が増加し、大衆消費社会が誕生しました。少数の中流が消費を楽しんだ第一の世代。残念ながら私などは話に聞く、あるいは資料でみるだけの時代です。
第二の消費社会は、戦中戦後の耐乏生活を経て日本は復興を遂げ、高度経済成長期と呼ばれる時代です。この時代の途中からは私も記憶に残り経験した時代であり、懐かしさも感じられる時代であります。アメリカに追いつけ追い越せ、記憶に残っているテレビドラマなどでも「奥さまは魔女」「パティ・デューク・ショー」などのアメリカンライフに憧れをだかせるようなものも流れていました。
1964年の東京オリンピックにあわせて東海道新幹線が開通。(このプロジェクトに対し、日本は世界銀行から8000万ドルの融資を受けました。)そして“1970年のこんにちは”(万博にちなんでこんな歌詞の歌が流行りました)、大阪万博が世界から人々を集め、「月の石」などに大行列が続いていました。(残念ながら私はパスしました。)
第二の消費社会にも人口の都市集中は加速しました。田中角栄元総理の日本列島改造論が88万部のベストセラーとなり、大都市から日本各地の地方都市に人やモノの流れを逆流させ、地方分散を推進する施策が取られました。当時建築を学ぶ学生だった私は公害問題を全国津々浦々に撒き散らすその計画に反対の声をあげていたのを思い出します。
第二の消費社会には本格的な近代工業化の進展によって、大量生産品が生活の隅々まで広がって行きました。人々は家電製品を所有することを目標とし、昭和30年代(1955~64年)には洗濯機、冷蔵庫、テレビ(「三種の神器」と呼ばれた)が、昭和40年代(1965~1974年)にはカー、クーラー、カラーテレビ(「3C」といわれた)が普及し、憧れのアメリカン・ウェイ・オブ・ライフが実現して行きました。ここでは高度成長の波に乗り、家族中心とする消費が、「ものを所有するということに幸せを求める」消費の価値観が確立されて行きました。
■第三の消費社会 ~家族から個人へ
そんな価値観に変化のきっかけを与えたのは、1973年の第一次オイルショック。
オイルショック後は「低成長期」と呼ばれ、1956年から1973年までの18年間で年平均 9.1%あった経済成長率がマイナス 0.5%となりました。1974年から1990年まで17年間の平均は 4.2%でしたが、1993年に再びマイナスとなりました。そして1998年には北海道拓殖銀行、山一証券、日本長期信用銀行の破綻
と続きました。
この時代の消費の特徴は、家電製品などが一家に一台あることが当たり前となり、飽和状態を解消するための次の市場を求めて、一人一台、一部屋一台という訴求がなされました。おりしもステレオカセットプレイヤー「ウォークマン」というヒット商品がソニーから発売されたのは1979年、場所を選ばずいつでもどこでも音楽を聞くことのできる製品は画期的でした。もちろん私も早速手にしてレコードやラジオから録音したものを一人移動中にも耳にしていました。また20代の未婚率の増加や単独世帯の増加により「家電から個電へ」という変化も加速してきました。
ちょっと時代は戻りますが、1970年に放映された富士ゼロックスの「モーレツからビューティフル」というテレビCMは、それまでの「モーレツ時代(当時エコノミックアニマルと揶揄されたように日本人は猛烈に働いた)」を生き抜くために忘れてしまった大切なもの、「人間らしさ」に目を向けさせた時代の流れを的確に捉えうまく表現したCMでした。
このころから「物の豊かさ」から「心の豊かさ」へと、「量」から「質」へと重心が移動してきました。1980年代前半によく目に、耳にした言葉でした。新人類と呼ばれた世代が独身貴族市場に進出、ブランド志向という消費の潮流です。
海外の高級ブランドを持ち歩く女子大生も巷でよくニュースなどでよく取り上げられていました。
またこの時代には「ニーズからウォンツへ」というキーワードもよく使われていました。市場に物が豊富になり必要な物はだいたい手に入れた。では何が売れるのか?生活者は、自分が次に何が欲しいのかわからないのです。所有段階が満たされると、ひとは次の段階に進む。それは“所有have”の時代から“自分はどうありたいかbe”が問われる時代になってきたこと。
1990年代になると「本当の自分らしさ」への希求がたかまって、「自分探し」のブームが広がって行きました。自分らしさとはなにか? 価値観、行動、着ているもの、持っているもの、それらのものが自分らしさを支えているものでしょうか。
■第四の消費社会 ~シェアー志向、社会貢献
三浦展氏は第三の消費社会から第四の消費社会への変化の特徴として次の5点をあげている。
1.個人志向から社会志向、利己主義から利他主義へ
2.私有主義からシェアー志向へ
3.ブランド志向からシンプル・カジュアル志向へ
4.欧米志向、都会志向、自分らしさから日本志向、地方志向へ(集中から分散へ)
5.「物からサービスへ」の本格化、あるいは人の重視へ
「第一の消費社会から第四の消費社会までの国民の意識の大きな流れを概観すると『national(国家重視)→family(家族重視、家族と一体の会社重視)→individual(個人重視)→social(社会重視)』という大きな変化があった。」
とされる。
1997年の金融破綻から日本を代表する大企業の破綻も続きました。1995年をピークに生産年齢人口も減少し始め、また非正規雇用者の増加も小泉内閣の政策以後顕著な傾向となっています。
1995年の阪神淡路大震災、2008年のリーマン・ショック、さらに2011年の東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所事故、と未曽有の出来事が起こりました。そんな中で個人化、孤立化した社会よりも個人間のつながりが自然に生まれる社会が求められてきました。“絆”という言葉が昨年度の今年の漢字に選ばれました。
他者、社会に対して何らかの貢献をしたいという意識は人々の心に徐々に広がってきています。情報は物質とは違い、それを私有し独占しそれを貯め込むだけでは意味をなさず、それを他者に伝え共有することによって情報価値が高まり、喜びを味わえます。情報を交換すること自体に喜びを感じるようになります。身近な些細なことでもフェイスブックに書き込めば「いいね」と返ってきます。コミュニケーションの世界が広がっています。
個人中心の利己主義から利他主義への変化、私有主義からシェア志向への変化、他者とのつながりを作り出すことに喜びを見いだすシェア志向の価値観、行動が第4の消費社会の根底に横たわるものであると考えられます。どんな人とどんなつながりを生むことができるか、そのための手段としてのものの消費、現在を充実して生きることができるための消費が求められてくるのではないでしょうか。
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■執筆者プロフィール
藤井健志
一級建築士、中小企業診断士、ITコーディネータ