「情婦」~ロジカル・シンキングとマレーネ・デートリッヒの魅力について / 上原 守

また映画の話で失礼します。
「情婦」は1958年公開の映画です。監督はビリー・ワイルダーで、チャールズ・
ロートン、タイロン・パワー、マレーネ・デートリッヒと豪華キャストを揃えて
います。
近所の映画館で「午前十時の映画祭」というのをやっていて、先日そこで観まし
た。大分以前のことですが、毎週末に古い白黒の映画を借りてきては観ていた時
期があってTVでは観ていますが、映画館で観たのは今回が初めてです。

■あらすじ
戦後のロンドンで裕福な未亡人が殺され、容疑者(タイロン・パワー)のアリバ
イを証明できるのは妻(マレーネ・デートリッヒ)だけ。身内の証言の証拠能力
が低いのは英国でも同じようで、しかもデートリッヒには故国ドイツに正式な夫
がおり、その態度は容疑者を信じていない様子。弁護士は、妻の証言をあてにし
ないで裁判を進めることを決断します。
しかも、容疑者には未亡人の遺産が入ることになり、容疑者が事前にそれを知っ
ていれば有力な動機があることに。
未亡人の家政婦は、殺された未亡人が「遺言を書き換えて容疑者に遺産を譲るよ
うにした」と容疑者に話していたのを、ドア越しに聞いたと証言します。
家政婦が証言する様子を冷静に観察していた老練な弁護士(チャールズ・ロート
ン)は、わざと小さな声で話します。そうして、家政婦の耳が遠いことを陪審員
に印象付けて、証言の信憑性を疑わせます。
検察側の証人に呼ばれたデートリッヒは、容疑者の帰宅は、アリバイの成立する
九時ではなく十時過ぎだと証言します。
窮地に陥った弁護士に、妻が恋人に宛てた手紙を買わないかと持ちかけてきた女
がいます。弁護士は首尾よく手紙を入手し、妻の証言も恋人と一緒になりたいた
めの偽証ではないかとの印象を陪審員に植え付けることに成功します。
そうして、被告は無罪になるのですが…

この映画のラストに「この映画の結末を未見の人に話さないでください。」との
キャプションが流れるので、あらすじはここまでです(笑)

■観察の重要性…ロジカルに考えるということ
11月に「ロジカル・シンキング再入門」というセミナーをやらせてもらいました
ので、参加された方が、この駄文を読んでおられるかも知れませんが…
セミナーの時に、IBMの Schoolhouse Steps の話をしました。その階段には「R
EAD」「LISTEN」「DISCUSS」「OBSERVE」「THINK」の文字が刻まれています。

参考:
http://www-03.ibm.com/ibm/history/exhibits/vintage/vintage_4506VV2081.html

セミナーでは「OBSERVE」-「観察する」ことの重要性をお話しました。
映画「情婦」の中でも、弁護士は鋭い観察力を発揮して証人の証言の信憑性への
疑いを陪審員に提起します。「十二人の怒れる男」という映画でも、同じような
シーンがありますが、こちらは陪審員側の視点で描かれていますね。
seeやlook、watchではなく「OBSERVE」だというところが、重要です。
陪審員制度においては、実際に「考える」のは陪審員の役割になるのですが「疑
わしきは無罪」なので、証言に対して「合理的な疑い」を持ち込むことに成功す
れば、無罪を勝ち取れます。
実際の法廷では、この映画のように証拠や証言を上手く100%覆すことは出来ない
と思います。「心証」というあまり合理的でないものが重要になります。

システム開発の現場でも、以前のようにユーザのシステム担当がある程度しっか
りしていれば、要件定義の段階で、完成したシステムの「イメージ」がベンダー
と共有できました。この「イメージ」が、裁判の場合だと「心証」に相当すると
思います。
まあ、システム担当の「イメージ」とプロジェクト・オーナーの「イメージ」が
食い違っていて、デス・マーチってこともありましたが…

ユーザとのミーティングでは「心証」がはっきりしているかを観察しておく必要
があると思います。
もし、イメージが共有できていないと思ったときは、多少遠回りしても、プロト
タイプを作るとか、稼動後のビジネスのシナリオを提示するとかを検討しましょ
う。ベンダーとしては、ある程度はロジカルに「合意」をしたと記録に残す必要
がありますが、システムのイメージとしての「共有」「合意」は、ロジカルな物
より重要です。

基本的に、人間は論理的な生き物ではなく感情的な生き物ですので、ロジカルに
だけ考えて相手を論破しても仕方ありません。ロジカル・シンキングは、合意形
成のツールであると考えるのが、ロジカルな考え方です(笑)

■デートリッヒの魅力はロジカルに考えられるか?
この映画をTVで観ていたときは、そんなに思わなかったのですが…映画だと、デ
ートリッヒが初めて登場する場面…弁護士事務所に入ってくるロングショットか
ら、画面の雰囲気が変わります。
これは、TVと映画の違い、スタイルやプロポーションの良さ(脚線美に当時の百
万ドルの保険をかけたとか聞きました)や、歩き方とかも有るのでしょう。大き
な要素としては、観ているほうが「デートリッヒだと知っている」ための先入観
もあると思います。
しかし、事務所の入り口から入ってくるだけで、映画の画面が退廃的な雰囲気に
なるのは驚きです。このときデートリッヒは56歳…私と同じ(笑)
こういった「雰囲気」が、所謂「オーラ」になるのでしょう。

この「オーラ」について、ロジカルに考えるのは…ロジカルに考えて「野暮」だ
という結論に達しました(笑)

まあ、ロジカル・シンキングに向いている命題とそうでない物があるということ
は、確実にいえます。

昔の米国や英国のTVドラマは、映画になってもおかしくないような作品が多くあ
ったように思います。最近は二時間のTVドラマで良いような映画が多いように感
じるのは、私だけではないように思います。

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■執筆者プロフィール

上原 守 
ITC,CISA,CISM,ISMS審査員補,プロジェクトマネージャ

エンドユーザ,ユーザのシステム部門,ソフトハウスでの経験を活かして,上流
から下流まで,幅広いソリューションが提供できることを目指しています。

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