IT業界が建設業界から学ぶこと / 坂口 幸雄

1.初めに

クラウドコンピューティングが脚光を浴びている。クラウドコンピューティングを活用することにより、“企業競争力の向上、内部統制対応、BCP”が実現しやすくなると言われている。しかし、いざ中小企業が具体的に検討してみると、自社の業務ニーズに適したピッタリの“安い、早い、うまい”利用方法は簡単には見つからない。やはり従来通りの自社運用(オンプレミス)のソフト開発が当分は続きそうである。

中小企業のソフト開発を成功させるには、“ソフト開発のプロセス”や“発注者とソフトハウス間の役割分担”を明確化して契約書を作成しておく事が前提となる。しかし中小企業ではIT推進体制が弱体であり、「要求仕様書」の作成の必要性は認めているが、しっかりした「要求仕様書」の作成はむつかしい。ソフトハウスが中小企業のこの弱点を補完できれば良いが、実際はむつかしい。

このような場合、現場責任者であるプロジェクト・マネジャーは“矛盾や無理”を承知で、むつかしい舵取りを余儀なくされることになる。そのためプロジェクトの成功(納期、コスト、品質)の比率は“30%”と低く、“動かないコンピュータ”や“ユーザーとベンダ間のトラブル”の事例が多い。その上IT業界は情報過多である。乱立するITベンダは売上拡大のために若干効果を誇大に発表し、マスコミも同調して過剰反応するため、腰の座っていないユーザーは必要以上に振り舞わされる。

しかし同じ「プロジェクト・マネジメントの世界」でも“建設業界”ではこのようなトラブルはほとんど発生しない、プロジェクトの成功率は“100%”に近い。これはIT業界から見ると驚異的数字である。私はITベンダに長年勤務していたが、その時に建設業の顧客を10年間余り担当していた。IT業界は“高々50年程度の歴史”しかないが、建設業は“エジプトのピラミッド、中国の万里長城”にはじまる“数千年の歴史”を持つ超成熟産業である。IT業界と建設業界とは大変よく似たビジネス構造(請負契約等)であるが、よく観察すると「短い歴史しか持たないIT業界」と「長い歴史を持つ建設業界」では“契約方式や業務プロセス”にたいへん大きな成熟度の違いがある。IT業界は建設業界から学ぶ点は多い。
この点について建設業界がIT業界と比較して優れている点を分析してみる。

2.建設業界がIT業界と比較して優れている点

1)責任分担の明確化:「設計」と「施工」の分離
 ○建設業界での手法は標準化され安定している。「設計」と「施工」は完全に分離されており、基本的に「設計」は設計事務所が、「施工」は施工会社が別々に契約する。建設業界では“1円入札”は発生しない。「設計」と「施工」の成果物(図面や建設物)は役所の厳しい検査にパスすることが最低条  件となる。役所の第3者チェックが有効に機能しており、曖昧な設計図書のまま施工に着手すること等あり得ない。
 ●IT業界では様々な開発手法が適用されているが、先進的手法はまだ安定していない。「上流工程」も「下流工程」も同一の会社が担当する。
「上流工程」と「下流工程」の成果物の第3者チェックは行われない。
この仕組みは中国のIT業界の方が日本よりも優れている。中国では役所が“品質管理や標準化”にリーダーシップを発揮している。中国のIT業界では日本の建設業と同じく、“公的機関による第3者チェック”を行う。第3者チェックをパスすると大幅な免税処置などのインセンティブが働く仕組みになっている。この制度が広く普及しているのは、第3者チェックを活用した方がソフトハウスに有利になるからである。中国のIT業界の第3者チェックの制度は成果物に対する品質向上に繋がっている。日本でも“客観性”のある第3者チェック制度をもっと取り入れるべきである。
“ERP選定”についても同じことが言える。いま中国では役所(信息産業部)が「ERPガイドライン」の策定している。そこでは業務要件やシステム要件について“統一した国家標準のガイドライン”を策定し指導している。
中国の中小企業は役所の指導を歓迎している。日本では無数の会計パッケージが乱立して販売され、中小企業は選択肢が多すぎてどれを選べばよいか解らない状態である。
しかし中国では会計パッケージは“用友”および“金蝶”の2社で中国市場の40%のシェアを確保している。役所のお墨付きのある“用友”か“金蝶”のどちらかを選べば間違いはない。

2)インタンジブルな資産管理:「業務ノウハウ」と「作業」の明確な区別
○建設業界では「業務ノウハウ」と「作業」が明確に区別されている。例えば設計事務所は企業秘密である「業務ノウハウ」は社外に出さないで、「作業」だけを下請企業に外注する。
そこには“長年にわたり蓄積された知恵”がある。そのために外部人材を賢く活用して、好況・不況による業務量の変動に対応できる。この“知恵”がないと企業秘密が流失してしまい、設計事務所は生き残  れない。
●IT業界では「業務ノウハウ」と「作業」を区別する資産管理が出来ていない。
 元請が下請に「作業」を「業務ノウハウ」と一緒に出してしまうため、「ノウハウ」は下請に移転してしまう。「業務ノウハウ」とはIT業界で言えば、“要件定義書やプロジェクト・マネジメント計画書の作成”である。
プロジェクト・マネジメント計画書のWBSを見ればプロジェクトの概要は誰でも一目了然に分かる。ポイントは「業種・業務毎」の“WBSの整備”である。
 しかし残念ながら、IT業界ではプロジェクト毎に“新しい別の手法や属人的手法”が採用されるので「業務ノウハウ」が蓄積されず、定着しないままとなっている。

3)見積業務の標準化と価格の透明性の確保
○建設業界ではコストの見積基準が確立されており、人件費や建設材料の単価は全国的に標準化されている。「月刊積算資料」(年間購読料 37,200円)が全国の書店で販売されており、そこに記載されている価格が見積の基準となる。“職種とその級”が分かれば自動的に“日当”は決まる。
最近の米国のCM(construction management)方式では、WBS毎に原価
・管理費・利益も別々に発注者に提示されることになっており、更にオープンブック方式ならば下請に支払った明細伝票までも発注者に公開される時代になってきている。
●IT業界では、基準となる標準的な単価は存在しない。プロジェクト契約毎に発注者と受注者の交渉能力や取引での力関係で単価が決まる。
契約は一括請負契約が一般的である。ソフトハウスが下請に支払った内容・金額は発注者には非公開である。

4)公的な職種ごとの技術者の専門家制度の整備
○建設業界では職種ごとに技術者の専門家制度がきめ細かく整備されている。
 資格がないと仕事ができない。
 例 一級建築士、とび技能士、左官技能士・・等
 ●IT業界では職種ごとに様々な公的な資格制度(情報処理技術者試験等)はあるが、法的な規制はなく資格がなくても誰でも仕事が出来る。

5)法律による規制と契約形態
○建設業は法律で規制された“国交大臣又は都道府県知事”による認可事業である。ルール違反があると法律的に罰則(ペナルティ)が科せられる。
 場合によると営業停止になる事もある。一括下請契約(丸投げ)等は厳しく禁止されている。
 ●IT業界のビジネスは自由競争である。役所の認可は不要であり、参入障壁はない。契約形態が様々あるが、内容が曖昧である。かつ契約内容と実際の作業実態が異なる場合がある。
  例 請負契約、派遣契約、委託契約、SES契約、準委任契約・・等いろいろある。
  認可事業ではないので、ルール違反や契約違反が発生しても役所からの指導はない。そのため発注者とソフトハウス間のトラブルや訴訟となる。発注者である中小企業は契約に詳しい人材が不足しているために、ソフトハウスが作成した契約書(中小企業に不利に作成されている)に充分検討しないで捺
印している。そのために中小企業は契約に際して、あらゆるケースを想定して充分にチェックするべきである。

3.最後に
建設業界とIT業界の違いは成果物の“確認しやすさの差”によるものが大きい。
建設業の成果物である“建築物”は目に見えるが、ITの成果物である“システム構築物”は目に見えない。システム構築物が人間の目に見えるようになれば、一気に建設業界の成熟度に近づくと思われるが、それは不可能である。
ともかく建設業界は“契約方式や業務プロセス”において“たいへん成熟度が高い”、価格・納期・品質によるトラブルは圧倒的に少ない。
今後、建設業界の成熟した“ベストプラクティス”を取り入れて、中小企業のIT活用の高度化が図られるとよい。
IT業界の成熟度が建設業界と比較して低いのは、“経営者の姿勢”にも責任がある。経営者は“建前”では「顧客志向」というが、腹の中の“本音”は「財務志向」である場合も多い。
むつかしい事ではあるが、本当の経営者は「顧客、財務、従業員」の3つを同時に満足させなくてはいけない。

————————————————————————
■執筆者プロフィール

 坂口 幸雄

 ITベンダ(東南アジアや中国で日系企業の情報システム構築の支援)、JAIMS(日米経営科学研究所、米国ハワイ州)、外資系企業、海外職業訓練協会(キャリアコンサルティング)を経て、
 グローバル人材育成センターのアドバイザー、
 資格:ITC、PMP、PMS、CISA
 趣味:犬の散歩、テレサテンの歌を聴くこと、海外旅行、お寺回り
 (四国八十八カ所遍路の旅および西国三十三カ所観音霊場巡り)