グローバルビジネスで活躍する日系中小製造業の現状と課題 / 坂口幸雄

1.零細な中小製造業までが海外進出を余儀なくされてきている
 安倍首相のアベノミクス政策により日本の景気は回復し始めている。しかし日本の“中小製造業”の経営環境は依然として厳しい状況にある。国内市場は縮小傾向にあり、一方アジアの新興国の市場は急速に拡大している。
 国内の主要な顧客も海外シフトしている。そして日本企業の販売・生産拠点はいつの間にか海外展開され、日本の製造業の空洞化が一層進展している。そのために零細な中小製造業までが海外進出を余儀なくされてきている。ここでは日本の製造業が最も多く進出している“中国”を中心に話を進めていく。

2.中小製造業は中国に軸足を置いてビジネスを展開すべきである
 昨年9月の尖閣諸島の国有化による日中関係の悪化、中国の反日感情や人件費の高騰などにより“生産基地”としての“中国の位置付け”は見直され、一方アジアの新興国へのシフトが着目を浴びている。そのため日本企業では“チャイナプラスワン(China plus one)”が盛んに検討されている。
 しかし冷静に考えると、中国はGDPで日本を抜き、すでに世界第2位の経済大国である。中国経済の成長も7%台の高い成長を維持している。2012年の日本の国別貿易額は、“輸入額の第1位は中国(21% )”で、“輸出額でも第1位は中国(18% )”である。日本経済は中国経済に大きく依存している。
 日本メーカーの製品を買うと、殆ど“made in China”と表示されている。日本メーカーの製品の大部分が中国工場で組立てられている。日本では“made in China”は圧倒的な存在感となっている。中国は部品調達など“世界一の製造業インフラ”が整備されているのである。
 中国にはリスクはあるにしても、中国ビジネスを撤退してアジアの新興国にシフトすることは得策ではない。リスク対応策(カントリー・リスクとオペレーション・リスク)を取りながら、中小製造業の現地法人は中国に軸足を置いてビジネスを展開するべきである。

3.中国における中小製造業の海外進出の歴史(発展段階)
 1978年にトウ〓(トウ)小平は、“改革・開放政策”を掲げ、経済特別区に外国資本を呼び込んだ。これを機に松下電器産業(パナソニック)など電機業界を先頭に日系製造業は中国進出を開始した。
 私は1998年当時、約1年間中国全土で「日系企業のITニーズ」についてマーケティングをしていたが、1998年当時の中国はまだ市場は閉鎖的であった。日本企業は日本法人を中国国内に設置できなかったので、連絡役として“駐在員事務所(representative office)”を置いていた。取引は香港に現地法人を置いて、中国企業と間接的に契約するという不便な時代であった。
 中国に進出している日系中小製造業では電気部品製造の企業数が多い。電気部品製造の企業のグローバル展開の発展段階は以下の通りである。

  • 第1段階 1980年頃より
    来料加工(中国企業に加工賃のみ支払う)・・・「日本式経営」
    中国(香港、広東省)で中国企業への生産委託から開始する。
  • 第2段階 2000年頃より
    進料加工(原料を中国企業に売渡し、製品を買戻す)・・「日本式経営」
    中国沿海部を中心に生産会社を独資で設立する。
  • 第3段階 2008年頃より
    現地化・戦略的提携・・・「日本式経営と中国式経営との融合」
    日本の電機業界は不況であり売上は激減している。中国で新しい顧客を開拓する方針へと舵が切られている。中国の“優秀な人材”と“豊富な資本”を活用して中国現地企業と生産・販売拠点が設立されている。
  • 第4段階 2012年頃より
    グローバル化戦略・・「日本式経営からの本格的グローバル化への脱皮」中国だけでなくアジアの新興国にも進出しグローバル展開し、本格的グローバル化が進む。“内部統制”についても時代の要請に対応した見直しが実施されている。

4.今までの日本式経営の“成功体験”はもはや通用しない
 2008年(リーマンショック)までは中国の製造業と比較しても日系中小製造業は経営資源(人材・技術・資金)で優位性を保っていた。しかし今では“勢いのある中国企業”に後塵を拝している。やはり中小製造業は他社では真似の出来ない“オンリーワンの得意技”が必要である。さもなければ中国の現地企業との価格競争に陥り、ジリ貧になるだけである。今までの日本式経営の“成功体験”は通用しないのである。

5.現地法人の組織の強化を図るべく“現地化”を図る必要がある
 中国のビジネススピードは日本の10倍である 。中国では1年もたてば“ビジネス環境”は大きく変わる。現地法人では、臨機応変に“ビジネスモデル”の再構築を図る必要がある。経営者は充分すぎるほど認識しているのだが、残念ながら実現できてない。根本的な解決策として「中国人スタッフを幹部への登用する」など“グローバル組織・人材の強化”を図り“現地化”を推進する必要がある。
 中国の現地法人に駐在している日本人は通常“2名程度”とたいへん少ない。
総経理(社長)と生産責任者(工場長)しかおらず、超多忙である。仕事以外にもプライベート面の悩みや心配事が多い。「自分の健康問題、日本にいる妻や子供の生活や教育、両親の介護」など“メンタルヘルス対策”も深刻である。 

6.日本のビジネスの“長所”はグローバルビジネスでは“欠点”となる
 高コンテキスト文化では日本のビジネス慣習は“長所”になるが、低コンテキスト文化のグローバルビジネスでは逆に“欠点”に変わることが多い。
1) 以心伝心による暗黙知のコミュニケーションは、誤解の原因となる。
2) 海外では職務記述書を定義して、その業務に必要な“経験とスキル”を持つ人材を採用する。「年功序列と終身雇用制」のような日本的雇用制度はない。
3) 日本人の「気配り、根回し、稟議制度」は猛スピードのグローバルビジネスでは、意思決定に“時間がかかりすぎ”、“責任と権限も曖昧”である。

 海外で現地法人を設立する場合は下記の点に留意する必要がある。
親会社の日本本社と現地法人の「責任と権限」が“曖昧”である。現地法人は日本本社に甘えて自立しない傾向がある。
1) 経営の現地責任者には現地側でのすべて経営の運営を任せること。日本本社と相談する必要が無いようにすること。
本社への最低限度の報告、義務を条件付ける。年度予算計画など。そのためには現地側日本人責任者は社長から全幅の信頼ある人物を派遣することが必要。ただし海外適用性があること。技術責任者も同様の本社の全幅の信頼ある人物。本社側に最低限度の報告・許可を条件付ける。品質の変更基準等。
2) 投資を実行する前に、撤退の条件を調べ、時間軸を持った撤退計画も準備しておくこと。

7.“プロジェクトマネジメント計画書”が無ければ仕事は何も進まない
 欧米企業の現地法人の「設立や運営」に際しては “エンタープライズ・プロジェクト”として立ち上げられる。プロジェクトマネジャーが“一人で”全責任を持つ。“責任と権限”は明確で、評価は“信賞必罰”である。そのため失敗しないように“プロジェクトマネジメント計画書”が作成される。
 経営戦略が明確に定められ、オペレーションが“標準化”されている。“規則やルール”に従い「業務マニュアルや職務記述書」が整備されている。低コンテキスト文化が前提の海外では“プロジェクトマネジメント計画書”が無ければ仕事は何も進まない。

8.欧米の“知識体系”は中小製造業へ取り入れ方がむつかしい
 私が懸念するのは、“PMBOKやCOBIT”など欧米の“知識体系(Body of Knowledge)”が充分な検討もなしに、中小製造業に導入されていることである。
“知識体系”は複雑で、その量は膨大である。“知識体系”を中小製造業の“企業風土”にそのまま取り入れると副作用が大きい。逆にあまり日本風にカスタマイズしてしまうと形骸化してその良さがなくなってしまう。副作用が出ないように工夫して、その“エッセンスだけ”を上手に日本に帰化”させないといけない。
欧米の手法は取り入れ方がむつかしい。

9.欧米と日本の両方の良さを取り入れた“和魂洋才”が必要である
 欧米の企業文化では、“株主中心の利益拡大を目的とした短期的視点” が重視される。逆に、日本の企業文化では、 “三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)のステークホルダー全般への貢献による長期的視点”が重視される。
 日本の製造業は“カイゼン、カンバン、5Sなど”世界をリードしてきた“経営の品質”が強みである。それを実現するには、小集団活動などの“チームワーク”が前提条件となる。日系中小製造業では、“共通の目的に一致団結”して取り組んだ時に、初めて“予想以上の成果”を生むのである。
 日本には誇るべき経営の手本となる先人が沢山いる。 “近江商人、石田梅岩、二宮金次郎、渋沢栄一、松下幸之助など”の数多くの先人が独自の信念で事業を開拓してきている。 欧米の手法だけでなく、日本の先人にも学ぶべきである。
日系中小製造業が生き残るためには、“欧米の技術”と“日本人の精神”の両方の良さを取り入れた“和魂洋才”によるハイブリッド経営が望ましい。

10. 最後に、再び“日本の奇跡”が再現されるのを期待したい。
 第2次世界大戦で日本は敗北し生産設備は徹底的に破壊されたが、絶望の焼け野原の中から奇跡的に復興した。アジアの諸国からは“日本の奇跡”と驚きの目で見られた。この驚異的な経済成長する日本を手本とする国が現れ、マレーシアのマハティール元首相は“ルックイースト政策”として取り入れた。
 日本の経済成長を可能にした原動力は日本の製造業の“ものづくり”だった。
それを下支えたのは中小製造業の“現場力”であった。中小製造業は“日本経済のエンジン”である。
 しかし1990年のバブル崩壊以降、日本経済は長期の景気低迷に陥り、“失われた20年”となっている。日本の中小製造業がグローバル時代に“和魂洋才”で活気を取り戻し、再び“日本の奇跡”が再現されるのを期待したい。

以上

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■執筆者プロフィール

坂口幸雄
ITベンダ(東南アジアや中国で日系企業の情報システム構築の支援)、JAIMS日米経営科学研究所(米国ハワイ州)、外資系企業、海外職業訓練協会(キャリアコンサルティング)を経て、グローバル人材育成センターのアドバイザー
資格:ITC、PMP、PMS、CISA
趣味:犬の散歩、テレサテンの歌を聴くこと、海外旅行、お寺回り
(四国八十八カ所遍路の旅および西国三十三カ所観音霊場巡り)