人間の問題としての情報 / 清水 多津雄

1.情報はきわめて人間的なものである
こうわざわざ言うのも、情報と言えば、すぐにBIや統計やビッグデータといったテクノロジーに眼が行きがちだからである。しかし、ビッグデータをブン回し、統計を駆使し、高度な分析データを出したとしても、それを読み解ける人間がいなければ、実は意味がない。いや、そもそも、ビッグデータをどの切り口でブン回すのかという段階ですでに仮説が必要であり、それを発案できる人間がいなければ、分析もままならない。生身の人間が鍵を握るのである。

2.異質なる環境から生まれる情報
なぜ、そうなるのか?
情報とは見知らぬことについての知らせである。すでに知っていることに情報価値はない。「えっ、そうだったのか!」という気づきを引き起こすものが情報である。
ということはつまり、見知らぬことに接触するとき、情報が生まれる。逆に、見知らぬことに接触しない限り、情報は生まれない。慣れ親しんだ、よく見知った関係の内部にいる限り、情報は無用なのである。異質で、見通し難く、よくわからない環境に踏み込むとき、はじめて情報が重要な機能を果たし始めるのである。
では、企業にとって見知らぬこととは何か。それは、顧客や競合、市場といった環境であろう。競合はもちろんのこと、顧客も市場全体も、異質で、見通し難く、よくわからないものである。このことは、当り前なことであるが、他方必ずしも自覚されているとは限っていない。特に、社内都合で製品やサービスを提供するようなタイプの企業はそうである。顧客にも競合にも向き合うことなく、自分たちが得意だから、収益上必要だからといった理由で製品やサービスを投入する。こうしたタイプの企業にはそもそも情報は必要ない。
逆に、自分たち内部の慣れ親しんだ常識や思い込みを否定し、顧客や競合の見通し難さを自覚し、その異質な環境に踏み込むとき、はじめて、「えっ、そうだったのか!」という気づきが生まれる。それが情報となるのであり、自分たちの製品やサービスのダメさ加減を思い知らせ、イノベーションのきっかけを生み出すのである。
結局のところ、自分たちの都合ではなく、顧客や市場が真に望む価値を提供しようとすれば、否が応でも情報が必要となる。そして、そのためには、その企業が、さらにはその中の一人一人の成員が、顧客や市場の見通し難さを理解しつつ、そこに踏み込んで行くことが不可欠なのである。そういう人間がいなければ、情報は取得も活用もできない。逆に、そういう企業や人間であればビッグデータ分析においても鋭敏な切り口を発案できるだろうし、分析結果からも重要な意味を引き出せるだろう。

3.異質なる環境へ踏み込めるか
しかし、言うは簡単だが、実際には難しい。なぜなら、企業という組織は、私たちを内部の動きへと否応なく巻き込んでいく傾向をもつからだ。私たちは企業の中で気づかないうちに内向きの傾向をすりこまれてはいないだろうか。顧客第一などと言いながら、社内動向にばかり気を取られていないだろうか。内部からは真に意味のある情報も、それを活用したイノベーションも出てこないだろう。
なぜなら、異質なる外部、それだけが企業に付加価値を提供するチャンスと対価としての利益を与えてくれるからである。そして、その外部に踏み込んでいける人間がどれだけいるかが、その企業の力を決めるだろう。

ということで、情報とはあまりに人間的なものであると思う。さらに大げさに言うなら人の生きる姿勢にまでかかわるものなのだと思う。IT以前に、そしてITを真に生かすためにも、自分自身も含め、情報にはこうしたあまりに人間的な次元があることにあらためて思いを致すべきではないかと、思うのである。

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■執筆者プロフィール

清水多津雄
ITコーディネータ
企業内ITCとしてITマネジメントに従事
大学・大学院での専攻は哲学。
現在、オートポイエーシス理論、とりわけニクラス・ルーマンの社会システム理論をベースに企業で役立つ情報理論&方法論を模索中。