生き物から学ぶ経営の勘所・・・ヒトデ編 / 富岡 岳司

 「生き物から学ぶ経営の勘所」の第3話はヒトデです。
なんだ、どうせ「ヒトデはクモよりなぜ強い(オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストーム 著 糸井恵  訳)」の本の事でしょ?と思われた方、申し訳ありません。その通りです。

この本に出会ったのは、もう7年の前の事ですが、大変判りやすく面白いので、まだ読まれた事がない方へ私見も交えてのご紹介できればと思います。

ヒトデとクモの比較は少し後にして、先ずは、この本に記載されているスペイン軍とアパッチ族について触れてみます。

 探検家、エルナン・コルテス率いるスペイン軍は強大なアステカ帝国を侵攻から僅か2年で攻略する。(1520年台) フランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍も瞬く間にインカ帝国を攻略する。(1530年代)このようにアメリカ大陸で次々に勢力を拡大したスペイン軍の次なる相手は、アパッチ族であった。
アパッチ族はアステカやインカのように繁栄を極めているわけでもなければ黄金も持っていない。統率もとれていない。そんなアパッチ族がスペイン軍に勝てるはずがないのに、勝ってしまうのである。それも1回の勝利だけではなく2世紀にわたってスペイン軍を撃退し続けたのである。
 アパッチ族に、アステカやインカにない特別な武器や戦術があった訳でもないのに。
ただ、ひとつ明確なのは両者の社会構成に大きな違いがあったことである。
 アステカにはモンテマスと言う王がいたし、インカにアタワルパと言う皇帝がいた。つまり絶対的なリーダーが君臨するヒエラルキーが形成された中央集権的国家であり、スペイン軍はこれら国を統制するトップに照準を合わせ攻撃・侵攻し次々と勝利を収めていったのである。
 一方、アパッチ族はヒエラルキーもなければ絶対的なリーダーもいない。強いて言うなら「ナンタンと呼ばれる精神的な指導者はいるが、ナンタンは行動で規範を示すだけで、命令や強制をする訳でもないし、部族のメンバーも自分の意思でナンタンに従う、従わないを判断する。
「ナンタンが戦うのであれば自分もそうしてみようか」程度である。
 しかし、この判りにくい、とらえどころのない組織こそが大きな武器であり、スペイン軍を大いに困らせたのである。
ナンタンはあちこちに存在しそれぞれで一定のまとまりがありつつ、他の集団とも一定の連携が図られている。つまり今で言う、ネットワーク社会が形成されているため、ある集団を攻撃すると他の集団にはその情報が行き届き対策が講じられたのである。
また、ナンタンは唯一無二ではないのでナンタンをやっつけても、次なるナンタンがすぐに誕生する。更には住居を攻撃されれば、その住居を捨て遊牧生活も始めてしまう。攻撃をすればするほど、拡散し、手ごわくなる。(著書ではネットのP2Pの問題と照らし合わせて表記されているのでもっと面白いです)
 こうした社会を、アステカやインカなどの中央集権組織に対して、分権型組織として表現されている。
そして、「分権型組織が攻撃を受けると、それまで以上に開かれた状態になり、権限をそれまで以上に分散する」とこの本では記されている。

 アパッチ族の話はここまでにして、本題になっているヒトデに話を切り替えましょう。(ここからは私見も含むのでデスマス調で書きます)

 この本を読むまでは、私も知らなかったのですが、ヒトデは頭に該当する部分もなければ心臓もありません。どこかに移動しようとひとつの腕がその方向に動き出すと、残りの腕もそれに同調し体全体としての移動が始まるとのことです。
そして最も驚くべきことは、腕を切り取っても生きていけるのですが、切り取られた腕からは新たなヒトデが形成されるのです。(必ずしも全てのヒトデの種類に当てはまるわけではないようです)
 あれっ? これって?
そう、もうお判りですよね。これってアパッチ族と同じなのです。
 全体を司る司令塔がなくても形勢されたネットワーク(情報共有)により全体としての行動が行われる。致命的な急所がなく、攻撃されればされるほど分散・拡散し勢力が広がる。
ヒトデには恐るべき分権組織が一つの生態の中に確立されているのです。

 一方でクモはというと。詳しく述べるまでもなく、8本の足の中心に胴体と頭があり、ここを切り落とされるとひとたまりも無い、そのような生き物です。

 本のタイトルになっている「ヒトデはクモよりなぜ強い」の答えはここにあるのです。(もっと奥が深いことが書かれていますし、アパッチ族もやがては滅びたその原因も記されていますがここでは割愛します)

 さて、先日、ネットを通じ
「欧米(とりわけ米国)においては入学申請や企業面接の際、多くの場合、あなたのリーダーシップ体験について話してくださいという質問をされる。なんで全員にリーダーシップを求めるのでしょうか」と言うことについて書かれているサイトを紹介頂きました。
非常に興味深く拝読させて頂いたのですが、答えは「全員にリーダーシップがある組織は、一部の人にだけリーダーシップがある組織より圧倒的に高い成果がでやすい」との事であり、学校行事や企業内でのプロジェクトを例にわかり易く説明されていました。
もちろん全員が利己的にリーダーシップのみを発揮しては空中分解間違いなしなのですが、リーダーの資質を備えつつも集団と言うネットワークの中で「ベクトルを合わせて」活動することは、中央集権での命令によって動くそれとは比べものにならない強さがあることをここでも記されています。
そして、アパッチやヒトデのように、何か外的要因(景気変動しかり、顧客事情しかり、法規制しかり)が発生し、その集団での従来の活動(既存事業の継続)が困難になったとしても、個々にリーダーとしての資質があれば、開かれた新たな社会(組織)が形成され、分散と分権により新たな集団(ビジネス)が創生されることが暗に記されていました。

 私が長年、会社で教わってきている稲盛さんの「アメーバー経営」、「一人ひとりが経営者」と言う言葉の真髄もここにあるように思います。
アメーバとヒトデ・・・なんとなく共通点があるようにも思えます。

会社、即ち法人はその代表者は必要ですし、形としてのヒエラルキーも必要です。
アパッチ族とてナンタンは不可欠ですし、ヒトデもあの形があってこそヒトデなのです。
 しかし、大切なのは、形が全てではなく、そこでの行動は「何によってかりたてられ」、「どのように動くのか」と、「いざと言う時にどのような対処が出来るのか」だと思います。
常に中央指令からの命令で動き、従わなければそこで生きていけないからそうするのであれば、アステカやインカやクモのように中央指令がマヒした時は自分の存在もかき消されてしまう運命にあるのです。
 中央指令は決して絶対ではない事を知った上で、ナンタンの部族やヒトデの残りの腕がそうであるように、その考え方や、やり方に共感できるから自らの意思で「それ」、つまり「ベクトル」に合わせて動いているのであれば、集団としてのその力は強靭なものになるでしょうし、不測の事態も常日頃から一定の想定に入り込み、発生時にはコンティンジェンシープランが発動され迅速な対応が図れるのだとと思います。
そのためには、ヒトデの腕のように、一人ひとりが自立できる力を日ごろから兼ね備えておく、ヒトデの腕と腕の関係のように、周囲にネットワークを張り巡らせておくことが肝要なのだと思います。

最後にもうひとつ大切なこと。
行動は利己の欲によってもたられるのではなく、利他の心をベースに判断した結果であること。
ヒトデもそれぞれの腕が自分中心でバラバラな方向に行こうとしたら話しになりません。
利己的で他を思いやる心に欠けた者を「ヒトデナシ」と言いますよね。
お後がよろしいようで。

参考:「ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ」
   オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストーム 著 糸井恵  訳
   日経BP社発行

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■執筆者プロフィール

富岡 岳司
ITコーディネータ京都 理事
ITコーディネータ
文書情報管理士/IPAセキュリティプレゼンター/JNSA情報セキュリティ指導者