ビッグデータとイノベーション / 清水 多津雄

●ビッグデータの特徴

 

ビッグデータとは文字通り大量のデータのことである。当たり前のことと思われるかもしれないが、これには重要なことが伏在している。それは少量のデータしか取れない事象についてはビッグデータは役に立たないということである。

大仰な例になるが、第三次世界大戦の発生確率を計算することはできない。世界大戦が過去に2回しか起こっていないからである。一般に、日本人の男女が30歳までに結婚する確率は計算できるが、特定のAさんが30歳までに結婚する確率は計算できない。Aさんの結婚という事象がまだ一度も起こっていないからである。

発生頻度の少ないこと、あるいは一回限りのことに関しては統計計算はできない。

 

●ビックデータの及ばない領域

 

しかし、よく考えてみればわかることだが、人生には、あるいは世の中には発生頻度の低いことや一回限りのことはいくらでもある。そうしたことはビッグデータの対象にはなり得ないのである。

もちろん、Aさんも統計を参照するかもしれない。30歳までに結婚する確率が仮に70%だとして、「そうか、オレも70%の確率で結婚できるんだ」と思えるなら、それもいい。しかし、多くの人はそれほど能天気ではないだろう。全国平均がどうであれ、このオレはどうなんだろうと思うに違いない。全国平均と自分の個別状況が概ね一致すると安易に信じられる人は多分多くはない。なぜなら、今の年収とか、出会いの機会とか、親の状況とかいろいろ抱え込んでいる自分固有の状況のもとでは全国平均など消し飛んでしまうからだ。「全国平均が70%でも、このオレはそんなわけにはいかないよな」などと思うわけである。

他方でこうした固有状況を変数化するという手はある。Aさんのような人の属性データを徹底的に収集し、分析すれば、属性傾向ごとの結婚確率は計算できるだろう。Aさんの主要属性は第3タイプに属するので、結婚確率は40%ですね、といった具合である。要するにアマゾンのレコメンのような感じである。

だが、厳密に考えてみよう。結婚に影響を与える属性はいったいどれぐらいあるのだろうか。本人も気づいていないような性格も影響するかもしれない。しかもお相手によっても変わる。同じ性格がB子さんには致命的な悪印象を与えるかもしれないが、C美さんにはほとんど何の印象も残さないかもしれない。こんなことをつらつら考えていくと属性は無数と言いたくなる。つまり、変数が多過ぎて計算式が作れないということになる。

人生や世の中は基本的に一回きりのことで動いていく。その中で限定された数の属性を明確に定義し、計算式を作り、データを集め、確率計算し、一般化できるものだけが、一回性の地盤から浮上して統計の世界に登っていける。しかし、無数と言いたくなるような多数の属性を持ち、絞ることもできず、データも取れず、計算式も作れず、それ以上一般化しようのない事象は、その階梯を登れず、永遠に一回きりの地盤に閉じ込められる羽目になる。しかも、人間はまさに本来この地盤で生きているのである。

 

●共感の世界

 

ということでイノベーションである。いま独身のAさんが部屋で掃除機をかけているとしよう。部屋が片付いておらず、掃除機のコードがあちこちに引っかかる。そしてついにちゃぶ台の足を思い切り引っ掛けて倒してしまい、載っていた食べかけのカップラーメンが畳の上に散乱したとしよう。Aさんはこのコードさえなければと心底思うだろう。もちろん、部屋が片付いていないのも、ちゃぶ台の上に食べかけのカップラーメンが載っていたのも、すべてAさんだけの固有状況である。部屋がこれと同じ状態にある確率を全国平均で計算することはおそらく不可能である。しかし、いくら固有状況でもAさんはこのコードさえなければと腹の底から思うに違いないのである。

コードがないといっても、よくあるような手持ちのコードレスの掃除機ではない。ホコリだらけの部屋を掃除するのだ。思い切り電気を使う本格派掃除機のコードレスである。(実はこうした掃除機、すでにあるようだが、ここでは度外視しておく)。Aさんの脳裏にそうした掃除機のイメージがよぎる。が、すぐまた、そんなのあるわけがないという思いが脳裏をかすめ、斬新な掃除機のイメージは直ちにかき消される。もちろん、家電屋でアンケートを取られても、そんなことを思い出すこともない。何事もなかったようにまた掃除機のコードと悪戦苦闘することになる。

そんなとき、掃除機メーカーの調査員がAさん宅を訪れたとしよう。Aさんは調査員に吸引力がどうだの、持ち手がどうだの、ホースがどうだのと答えていたが、ふとコードのことを思い出し、言ってもしょうがないかと思いつつ、半分冗談で「コードのない掃除機があったらいいんですけどね」と言った。そのとき調査員が意外にも真顔で反応したとしよう。

どう反応したのか? 共感したのである。それはさぞかし頭にきたでしょう、さぞかし邪魔になるでしょう、さぞかし不便でしょう、自分も掃除機のコードが邪魔でよく頭にくることがあるんです、う?ん、わかるわかる、と。

そして、調査員はさらに、自分がこんなに共感するのだから、他にもこんな風に思っている人はたくさんいるのではないか、統計数値では見たことないが、きっといるに違いない、と思うのである。

 

●共感からイノベーションへ

 

共感によって何が起こったのか? 一般化が起こったのである。それは確かにAさんのちゃぶ台とカップラーメンという固有状況から発生した。しかし、調査員が共感することで「それは多くの人に共通する問題ではないのか」という一般化の過程が始まったのである。共感は一般化を生み出すのだ。

共感は言うまでもなく、デザイン思考の出発点である。その意味で、イノベーションの基点である。ちゃぶ台とカップラーメンというどうしようもなく固有な状況は、ビッグデータの世界に羽ばたくことはできないが、共感を通してイノベーションへ登っていく一歩を踏み出すことになったのである。

何がイノベーションを生み出すのか? もちろん、ビッグデータによる行動予測や市場予測によりイノベーションが生まれることもある。しかし、もう1つの重大な領域を決して忘れてはならない。統計にしようのない日々の固有状況の中から深い共感によってイノベーションが起こるという、この領域を常に志向して

いる必要がある。ビッグデータとAIの時代だからこそ、心に留めたいものである。

 

 

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■執筆者プロフィール

清水多津雄

ITコーディネータ

大学・大学院での専攻は哲学。現在、オートポイエーシス理論、とりわけニクラス・ルーマンの社会システム理論をベースに企業で役立つ情報理論&方法論を模索中。

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