
はじめに
前回のコラム「レガシーからの脱却と未来への投資」では、IT子会社の経営者として「攻め」と「守り」の両輪でDXを進める実践についてお伝えしました。今回はその続編として、グループ各社や地域の中小企業の皆様と議論する際にもっとも頻繁に話題にあがるテーマのひとつ、「経理業務のデジタル化」を取り上げます。
DXというと、生成AIや基幹システムの刷新といった派手なテーマに目が行きがちです。しかし私は、経営者として組織を率いる立場、またこれまでのキャリアを通じてさまざまな組織や職場の内部統制やガバナンスに向き合ってきた立場から、経理業務こそ「その会社のDXの実力」を映す鏡であると考えています。なぜなら、経理は会社の実態を数字として最も正確に映し出すプロセスであり、ここが整っていない組織で語られるDXは、どれほど美しい戦略であっても砂上の楼閣になってしまうからです。
なぜ経理のデジタル化が経営の中核なのか
経営者にとって、経理から上がってくる数字は唯一にして最大の「経営の体温計」です。月次決算が遅れる、事業セグメント別の損益が分からない、ROIC(投下資本利益率)の構成要素を分解できない――こうした状態は、操縦桿を握ったまま計器が読めない飛行機に乗っているのと変わりません。
近年は東京証券取引所のPBR1倍割れ企業への改善要請を契機に、ROIC経営への関心が一段と高まっています。事業別・セグメント別にROICを把握しようとすると、投下資本(運転資本、固定資産)と利益を正しく按分するためのデータ構造が必要になります。ところが、多くの中堅・中小企業では「合算の数字は出るが、事業別・拠点別では遡って手作業で集計している」という実態が珍しくありません。これでは経営判断のスピードも質も上がりようがないのです。
「いきなりツール選定」をおすすめしない理由
経理のデジタル化と聞くと、多くの企業がまず「どのクラウド会計ソフトを選ぶか」「どの経費精算SaaSが良いか」というツール選定の議論に飛びつきがちです。しかし、私の経験から言えば、ここに最大の落とし穴があります。業務のあり方を見直さないままツールだけを入れ替えると、結局は「紙の伝票がPDFに変わっただけ」「Excelの手入力先がSaaSの画面に変わっただけ」という、いわゆるデジタイゼーション(Digitization)どまりで終わります。本来目指すべきは、業務プロセスそのものを再設計するデジタライゼーション(Digitalization)であり、さらにその先にあるビジネスモデル変革としてのDXです。
ECRSで経理業務を問い直す
ツール選定の前に、経営者が向き合うべきは業務そのものの棚卸しです。ここで有用なのが、業務改善の古典的フレームワーク ECRS(イクルス) です。製造現場の改善手法として知られますが、間接部門である経理業務にも極めて有効に機能します。
•E(Eliminate:排除) その業務は本当に必要か? 月次で作っているあのレポート、誰がいつ読んでいるか? 稟議の押印は何段階必要か?
•C(Combine:結合) 別々の係が似た作業をしていないか? 請求書発行と債権管理、出張精算と支払処理は一体化できないか?
•R(Rearrange:入替・代替) 処理の順序を入れ替えれば手戻りが減らないか? 承認者と起票者の役割は適切か?
•S(Simplify:簡素化) 承認ルートを短くできないか? 入力項目を減らせないか? 例外処理を標準化できないか?
私が経営の現場で繰り返し問いかけているのは、次のような問いです。
•業務フローに無駄はないか。
二重チェック、紙とデジタルの併存、押印のためだけの出社が温存されていないか。
•ROICを把握するために必要なデータが、必要な粒度で取れているか。
事業別・拠点別の損益、運転資本回転日数、固定資産別の収益貢献度は把握できているか。
•拠点・係ごとにやり方が違っていないか。
支店Aと営業所Bで経費精算のルールが微妙に違う、というのは中堅企業では「あるある」の話です。
•複数の銀行口座を漫然と持ち続けていないか。
歴史的経緯で口座が増え、現預金管理だけで月初の数日が消えていないか。
これらは単なる現場の効率化の話ではありません。経営者がROICや事業別損益を把握できない構造を放置しているという、ガバナンスの問題なのです。
誰に任せるかを誤ると、改革は止まる
ここで悩ましいのが「誰が音頭をとるか」です。私の経験上、次の三つはいずれも危険です。
第一に、既存の経理担当者に丸投げするパターン。 長年同じ業務を回してきた担当者は、その業務に最も詳しい一方で、「いまのやり方を変えること」自体に動機が働きにくい構造にあります。むしろ「自分の仕事が無くなる」という不安が、無意識のうちに改革のブレーキになることすらあります。
第二に、外部の専門家やコンサルタントに丸投げするパターン。 会計や税務、SaaSの知識は豊富でも、自社の業務の機微や現場の事情までは分かりません。きれいな提案書が出てきても、現場で動かなくなります。
第三に、若手社員に丸投げするパターン。 デジタルに強い若手は頼もしい存在ですが、業務の歴史的経緯や、他部署との微妙な力学を知らないまま設計すると、現場から強い反発を受けて頓挫します。
正解は、経営者自身が業務を理解したうえで、改善意欲のある担当者を見つけ出すか、信頼できる伴走支援者(外部の専門家)と組み、経営の意思として「変える」と明言することです。ITコーディネータが標榜する「経営者の立場に立った支援」が真価を発揮するのは、まさにこの局面です。
経理を取り巻く最近の潮流
業務の棚卸しと並行して、経営者は経理を取り巻く構造変化も押さえておく必要があります。
第一に、単純な転記・突合作業を担う人材は、今後ますます減っていきます。少子化と人材獲得競争の中で、「請求書の中身を見て会計ソフトに手入力する」という仕事に若手を惹きつけることは、ますます難しくなります。
第二に、業務委託(BPO)、そして、SaaS活用が現実解になりつつあります。クラウド会計ソフトはAIによる自動仕訳と外部システム連携が標準機能となっており、freeeやマネーフォワードといった国産SaaSも中堅企業の領域まで対応範囲を広げています。経費精算、請求書受領、債権管理、ワークフロー、人事労務といった周辺領域にもSaaSが充実し、APIで連携させる「ベストオブブリード」型の経理基盤を構築できる時代になりました。
第三に、法制度の側からもデジタル化が強制力をもって進んでいます。 電子帳簿保存法の電子取引データ保存義務化は2024年から本格適用され、宥恕措置や猶予措置も段階的に終了に向かっています。インボイス制度(適格請求書等保存方式)の経過措置も、2026年10月以降は仕入税額控除割合が80%から50%へ縮小する局面に入ります。「紙とExcelの世界に留まる」という選択肢は、もはや実務的に成立しなくなっているのです。
そして第四に、生成AIの実用域到達により、経理業務の知的生産性そのものが書き換わりつつあります。主要なクラウド会計SaaSやBIツールは、自然言語による問い合わせ、仕訳の自動提案、異常検知、月次決算コメントの下書き生成といった機能を相次いで実装しています。Microsoft 365 CopilotがExcelやOutlookに組み込まれたことで、表計算とメールの上に乗っていた経理業務は、AIエージェントとの対話を前提とした業務へと姿を変えつつあります。これは「OCRや自動仕訳」といった単純作業の自動化を超え、経理担当者の役割を『入力者』から『判断者・分析者』へと押し上げる構造的な変化です。
SaaS導入で考慮すべき5つの視点
ここまで来てようやく、ツール選定の話に入ることができます。SaaSを選び、業務に乗せていく際の勘所を、経営者目線で整理すると次のようになります。
1. 業務をSaaSに合わせる勇気を持つ
クラウドSaaSは標準機能で多くの企業の業務をカバーできるよう設計されています。「うちの業務は特殊だから」とアドオン開発やカスタマイズに走ると、コストが膨らみ、バージョンアップに追随できず、結局オンプレ時代の二の舞になります。原則として業務側をSaaSの思想に寄せる——これは経営判断としての決断が必要です。
2. リモートワーク前提の設計にする
紙の請求書を「経理は出社が必要な仕事」にしてしまうと、優秀な人材の確保が一段と難しくなります。請求書はAI-OCRで読み取り、生成AIによる勘定科目・摘要の下書きを経たうえで担当者が確認し、承認はクラウドのワークフローで完結させ、現物は電子帳簿保存法に則って保管する——この基本形を全社で徹底することが、人材戦略としても効きます。
3. 支店・営業所のやり方を統一する
拠点ごとに微妙に異なる経費精算ルールや会計処理は、SaaS導入のタイミングで一気に標準化すべきです。SaaSのバージョンアップやBPO化、会計監査や内部監査の効率化にも直結します。
4. 内部統制のリスクに目を配る
特定の担当者にしか分からない処理を放置することは、不正リスクの温床にもなります。「あの人が辞めたら回らない」と感じる業務領域があれば、それは内部統制上の警告灯です。職務分掌の見直し、承認権限の明文化、システム上でのアクセス制御の徹底を併せて行う必要があります。また、現金紛失や横領のリスクを抑える意味でも、極力キャッシュレス決済に寄せることを推奨します。法人カードと経費精算SaaSの連携、銀行APIによる入出金データの自動取込みは、改革と統制の両面で効きます。
5. 会計だけでなく税務の観点も同時に押さえる
電子帳簿保存法の要件(タイムスタンプ、検索要件、訂正削除履歴)に対応しているか、適格請求書発行事業者の登録番号の確認・記録が自動化されているか、消費税の経過措置に対応した区分経理ができるかは、SaaS選定の重要な軸です。会計と税務を一気通貫で押さえたSaaSを選べば、決裁手続きや監査対応もぐっと楽になります。
「バケツリレー」をやめ、BIで可視化に投資する
私が現場で見てきた典型的な「悪い経理」のパターンは、Excelへの手入力とメール添付による『バケツリレー』です。支店から本社へExcelをメールで送り、本社で合算してまた別のExcelに転記し、それをPDFにして経営会議で配る——どこかでミスが入れば全工程をやり直し。これは誤りの根絶を妨げる構造そのものです。
これを断つには、SaaSから出てくるデータをそのままBIツール(Microsoft Power BI、Tableau、Looker Studioなど)に流し込み、役員と現場が同じダッシュボードを日次・週次で見る仕組みに切り替える必要があります。月次決算をPDFで「報告」するのではなく、役員が毎日リアルタイムに数字を共有している状態を目指すのです。
生成AIで経理の知的生産性を引き上げる
経理領域における生成AIの活用は、すでに「実験」の段階を抜けています。私自身、サーラグループの実務の中で複数のユースケースに向き合ってきましたが、効果が見えやすい領域はおおむね次の四つです。
第一に、仕訳と摘要の自動提案です。請求書PDFやレシート画像から、勘定科目・税区分・摘要文を生成AIが下書きし、人は確認と例外対応に集中する。AI-OCRの読み取りに加えて「意味の解釈」までAIが行うことで、入力時間は数分の一に圧縮されます。
第二に、異常検知と監査支援です。仕訳データの中から、過去傾向と乖離した取引、稟議と支払が紐付かない支出、特定の担当者に処理が集中している領域などを生成AIに洗い出させる。これは内部監査の現場でも有効で、サンプリング監査から全件モニタリングへとパラダイムが変わりつつあります。長年内部統制に向き合ってきた身としては、ここに最も大きな変革の可能性を感じています。
第三に、月次決算コメントとレポートの下書き生成です。実績数字と予算・前年比較を踏まえて、変動要因の仮説と説明文を生成AIに下書きさせ、担当者はファクトの裏取りと表現の調整に専念する。これだけで決算開示や経営会議資料の準備時間は劇的に短縮されます。
第四に、経営者・現場との対話インターフェースです。Power BIのCopilotやTableau Pulseに代表されるように、ダッシュボードに自然言語で質問できる機能が標準化しつつあります。「先月の販管費が増えた理由は何か」「どの拠点の運転資本が悪化しているか」と問いかければ、AIがデータを横断して回答する。これは、経営層がデータに触れる頻度と深度を圧倒的に高めます。
ただし、生成AIの導入には注意点もあります。機密データの取り扱い(学習に使われないモデルや閉域構成の選択)、ハルシネーション対策(数字の最終確認は人が担う設計)、ログとガバナンス(誰が何をAIに問い、どう判断したかの記録)――これらは新たな内部統制の論点として正面から設計する必要があります。「AIに任せたら統制が弱くなる」のではなく、「AIを前提に統制を作り直す」という発想が、これからの経理ガバナンスには不可欠です。
ここまでやると、何が変わるか
ここまでの取り組みを徹底すると、組織の景色が変わります。
•月次決算の数字は、もはや会議で「報告」する対象ではなくなります。役員はすでに数字を知っているので、会議では「この数字をどう動かすか」という議論から始まります。
•報告を聞いて沈黙する会議、特定の担当者が辞めると聞いて慌てる経営陣、こうした光景は減っていきます。
•AIが提示する異常値や仮説をきっかけに、現場と経営の間で対話が生まれます。誰かを責めるための数字ではなく、共に向き合うための数字として、データが議論の起点になります。
•数字が共有されていることで議論の前提が揃い、お互いの発言を頭ごなしに否定せずに済むようになります。心理的安全性が確保された場では、思いがけないビジネスのアイデアが芽吹くこともあります。
おわりに——経理を見れば、組織の風土が見える
経理業務のデジタル化は、単なる効率化の話ではありません。経営者として会社の実態を正しく把握し、ガバナンスを効かせ、人材を活かし、そして将来のビジネスを生み出すための土台づくりです。ECRSによる業務の棚卸し、SaaSと税務制度を一体で押さえた基盤整備、BIと生成AIによる経営と現場の数値共有——この三点セットは、規模を問わずあらゆる組織で取り組む価値があります。
ただ、こうした取り組みを継続できる組織と、できない組織があります。その差を分けるのは、ツールでも予算でもなく、職場の風土だと私は考えています。経理を継続的に見直し続けられる組織には、共通する特徴があります。
第一に、経理を含む間接部門でも、定期的に人事異動が行われていることです。一人の担当者に長く同じ仕事を任せ続けると、知見は深まる一方で、業務は確実にブラックボックス化し、改善の余地も見えにくくなります。三年から五年のサイクルで新しい目を入れる組織では、業務が属人化せず、後任の視点から自然に「なぜこの作業は必要なのか」という問いが生まれます。人事異動それ自体が、最も安価で確実な内部統制であり、DX推進の原動力でもあるのです。
第二に、現場の担当者の意見を、経営者が本気で聞き入れる土壌があることです。「この承認ルートは本当に必要でしょうか」「この帳票を廃止できませんか」――こうした声が現場から自然に上がり、経営者がそれを聞き流さない組織は、放っておいてもプロセスが磨かれ続けます。逆に、現場が経営者に物を言えない組織では、どれほど高価なSaaSを導入しても、どれほど高度な生成AIを入れても、いずれ形骸化します。
第三に、会議の場で活発な議論が起きる心理的安全性が確保されていることです。BIダッシュボードと生成AIで数字と仮説が常にオープンになっている組織では、議論の前提が揃います。誰かを責めるための数字ではなく、共に向き合うための数字としてデータが機能するとき、人は安心して仮説を述べ、反論し、検証できるようになります。
そして、これら三つが揃った組織では、イノベーションが起こりやすくなります。経理から見えてくる数字、現場から上がってくる声、AIから提示される異常値や仮説、これらが安全な議論の場で交差したとき、思いがけない事業のアイデアや業務改善の発想が生まれる。私はこれを、いくつかの現場で実際に目にしてきました。
逆に言えば、経理業務の流れを観察するだけで、その会社がDXを実現できそうな組織か、人事異動が健全に回っているか、経営者と現場の距離が近いか、会議で本音が出る組織か、そしてイノベーションが芽吹く土壌があるか——おおよそ見えてしまうということです。経営者として、また監査の専門家として様々な組織を訪問してきましたが、経理フローの状態と組織文化の健全性との相関は、驚くほど強いものです。
経理は、会社の数字を映す鏡であると同時に、会社の風土を映す鏡でもあるのです。
さて、皆さんの組織はいかがでしょうか。経理担当者は何年同じ仕事を続けていますか。彼ら彼女らの「変えたい」という小さな声を、経営者は聞こえる場所にいるでしょうか。月次の会議で、若手から自由に質問や反論が飛び交っているでしょうか。
一度、経営者自身の目で経理フローを見つめ直してみることを、心からおすすめいたします。それは、業務改善の入り口であると同時に、組織の風土を点検し、次のイノベーションの種を見つけるための、最良の鏡なのですから。
【執筆者プロフィール】
浅野 卓(アサノ タカシ)
株式会社サーラビジネスソリューションズ 代表取締役社長
株式会社サーラコーポレーション 執行役員
(グループDX推進担当 兼 地域関連事業 兼 監査部担当)
公認内部監査人(CIA)、公認システム監査人(CSA)、ITコーディネータ